日本にもまだまだゴッツいロックンロールが健在だという事実を、口先ではなく、カラダで教えてくれる、そんなバンドの若手有望株がこの4人組、THE BAWDIESだ。初めてシングルEPを聴いた時から、このフル・アルバムの発売を心待ちにしていたが、期待通りのゴキゲンな中身で、ハートはドキドキ、腰は揺れる。C’MON EVERYBODY!

日本にもいいバンドはたくさんいる。そんなことは分っているつもりだ。実際、これまでに、多くのカッコいいバンドを見てきたし、付き合いも多い。そういうバンド諸君たちとは一緒に自分のイベントに出てもらったり、ラジオにゲストで出てもらうなど、公私共におつき合いさせてもらっている。

昔の話をすると、なんだよ、また昔はよかった、かよ。という人たちもいるだろう。昔は昔、今は今だろう、ってね。いや、まさにその通り。過去を振り返り、自分が若かった頃を懐かしんで美化するなんてのはロックンロールな感覚じゃないね。過去に生きるなんてのは、ある意味、時代に馴染めない者の言い訳のようなものかもしれない。

それは百も承知。しかし、そういうノスタルジーに浸るのではなく、純粋に音楽的な見地から、過去を眺めることにはちゃんとした意味があることも、音楽ファンには承知しておいていただきたい。つまり、今ある音楽も、いきなり今突然に生まれたわけではない、という当り前のこと。すべてにおいて「歴史」はある。過去を否定することは、現在を否定することにつながるのだ。

ぼくはビートルズとベンチャーズでロックンロールの魅力にとりつかれた人間のひとりだ。あれから、すでに40年以上がたった。そして、仕事柄という事情もあるけれど、色々な音楽を聴いてきた。洋楽も邦楽もだ。数えたことはないけれど、全部で1万組は下らないだろうな。年間に数百以上だから、まぁ、とにかく凄い数聴いてきたことって話。

そして、やっぱり思うのは、バンドの善し悪しというものはそのバンドのやっていることが基本、決め手になる。でも、その判断の基準は一体どこから来るのか、いかにして聴き手がそれを判断するのか、ということになると、経験が大きいのだ。勘違いしないで欲しいんだが、たくさん聴いてるからエラい、とかいう問題ではない。そうではなく、たくさん聴いて、そしてそういう経験の中からその人が音楽をどう捉えているのか、という点が重要なのだ。

好き嫌いは個人差が大きいのは言うまでもないが、好き嫌いというレベルを超越した部分で、音楽ファンとしてその人がいかなる個を築いてきたか、というべきか。理屈っぽい?そうね〜、言葉で、文章で表現すると何か理屈っぽくなるかも。でも、じゃあ、簡単に言うなら多くの経験からレコードなりバンドなりに初めて接して、その瞬間に「おお、コレはスゴい!」って判断というか感覚的にそういう衝撃みたいなものが身体中に稲妻みたいに突き抜けるっていうことが起こるのには、重ねた経験の中身によるってこと。無意識の記憶が瞬時に脳のシナプスを刺激する時にそれは起こるんだと思う。

THE BAWDIESを初めて聴いた時にも、それが起こった。シングルEP『I BEG YOU 』を聴いて、「おおっ!?これはイイかも」と感じたのは過去の色々な音楽体験が発信した信号のようなものだ。しかも、コメントにはあの伝説の音楽雑誌「MUSIC LIFE」の編集長で、ビートルズに取材した数少ない日本人の、星加ルミ子さんの名前がある。ぼくの無知かもしれないが、星加さんがここまで称賛した日本のバンドをぼくは最近ではまるで知らない。

そしてある時、知り合いのイベントで彼らのライブを見て、改めて自分の判断に間違いがなかったことを確認した。かつて大ファンだったTHE STRIKESやCAROLなどのイメージがダブった。まさに日本のマージー・ビートだ。このアルバムでも聴いてすぐにピンと来るはずだが、サウンドもビンビン来るけれど、ボーカルがまた凄い。ロイくんの歌声は日本人とは思えないくらいに黒いフィーリングに溢れている。リトル・リチャードかハウリン・ウルフか、ってな感じだ。日本のバンドの最大のウィーク・ポイントはボーカルにある、というのがぼくの経験から来る持論だが、このバンドにはヤラれた。まだまだ荒削りなのは当り前。というか、そんなに早く洗練されたり、巧くなって欲しくない。むしろ、この「衝動」をずっとこのまま維持してもらいたい。ロックンロールのマジックは出合い頭にある、と確信している者としては熟達するのは構わないが、器用になんかならないで欲しい。この胸のときめきをFOREVER なのだ。ビートルズ、ハデにやれならぬ、ボゥディーズ、ガンガン行こうぜ、である。日本のヌルいヤングたちの骨盤をヘシ折ってくれ。

●音楽評論家 / 大貫憲章